日本のヌーディストっていう文化
ワーホリでオーストラリアに行ったとき、いろいろ初体験な場所に行ったり観たりしたわけですけど、カルチャーショック受けたのが「ヌーディスト」な文化。
街中で若い人たちは素足で歩いてるのから始まり(ヌードじゃないけど)、あちこちにヌーディストビーチがあったり、ヌーディストビーチでないのにヌードになってる人がいたり。
それを見て興奮するとかいう感情は意外と起きなくて、ジロジロ見ることもなかった。
ただ衝撃的だったのは、本屋で見かけたものでした。
今でこそ日本でも、とある場所で売ってたりしますけど『ヌーディスト』の専門誌。
ちょっと立ち読みしたんですけど、基本おっさんとおばさんのいわゆるナチュラリストたちが全身で太陽や水を浴びて屋外でリラックスしたい云々の話が綴られてるもの。
若い人でもたぶん40代くらいの人たちのインタビューとか、広告とかが掲載されてるだけで特になんにも面白くはなかったです。
驚きだったのは、街なかの本屋やデリで雑誌のコーナーにふつうにモザイクなしで売られてたこと。
しかもエロ目的じゃない素っ裸の人たちの雑誌に、当時はなんの価値があるのか不明でした。
今もですけど。
日本にはヌーディストな文化はあるか
バブル全盛期、オーストラリアやアメリカに日本人が大挙して押し寄せていた頃に「日本人はムッツリだ」とか言われてました。
隠れてこそこそいやらしいという感じに見られてたんだと思います。
が、日本にはすごい文化ありますよね。
それを見るととてもムッツリ、こそこそと裸体を眺めたりする民族には思えません。
仕事のストレスを女体盛りで発散してる民族とは(大企業とか官僚のおっさんだけか)。
ムッツリじゃないことを証明するのが春画です。
春画は、単なる江戸のエロいおっさんたちのために書かれたのではなく、浮世絵師が呉服屋などとのタイアップで着物売り込み広告として作られていたようですよ。
もちろん過激になりすぎて、お上から規制が入ったようです。でもそこは粋な江戸の人たち。規制の網をかいくぐり、裏春画を作りまくったようです。
そのおかげで色彩豊かな芸術性のたかい春画の数々が後世にのこったんだと思いますけどね。
んで、この春画が堂々と人々の間で出まわる江戸時代って、異性のハダカに対してどんな感覚を持ってたのか。気になるところです。
江戸時代のヌーディストパラダイス・銭湯(湯屋)
かなり開放的です。
江戸時代の銭湯。
よく見ると仕切りがない。
一枚の絵だけなら内部の状況をわかりやすくするために壁などはとっぱらって書くかもしれませんが、二枚とも同じ状況。ということはそもそも壁がなかったってことでしょう。
幕末に日本を訪れた外国人の残した記録のなかに、江戸の人たちのハダカ感覚に驚いている様子の記述があります。
「ハダカにあまりにも無関心な人たち。」
つまり、他人のハダカも自分のハダカも特に無関心で入られたってことです。
ある意味どこかの国の部族の人たちと同じような感覚。
考えてみたら僕らガキの頃、明治生まれのおばあちゃんが夏に上半身ハダカで井戸端会議してたな。
誰が来ようが気にしない、あの感覚なんかな。
裸はいつから恥ずかしくなったか: 「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)
いつも読んでくれてありがとね!