【オリンピック】エンブレム問題再燃
僕も一応Webデザインなどするので、動向が気になってます。
オリンピックエンブレムの再選考でふたたび再燃してますね。
いろんなところでいろんな人がブツブツ言ってます。
—平野敬子さんのブログ(http://hiranokeiko.tokyo/?eid=66)から
複数のデザイン・プランの嗜好を分析する場合、精度を求める調査では、「A・B・C・D」や「1・2・3・4」という順列を示す記号は用いません。なぜならば、記号の順列が心理に影響を及ぼし、調査結果に影響するからです。ですので通常は、例えば「K・G・l・M」といったランダムな、相互の関係性に意味が生じない記号を用いることが適切とされ、この方法によって公平かつ精度の高い調査結果が得られることとなります。今回の五輪エンブレム4案発表の構図を見る限りにおいては、デザインとしての良し悪しの問題以前のこととして、比較論として「A案」が選ばれやすい状況が整っている、つまり「A案」に特別な優位性が与えられた不平等な発表形式であると受け取りました。
平野さんに限らず、プランAが心理的に選ばれやすくなってるというようなことを言ってる専門家がいますけど、所詮お役所のやることなんで選考する人たちの心理云々などをそこまで考えてるとは思えません。
こういう事は当然ながら民間のほうが知見もあるし、平野さんにしても識者なんだからブログなんかでつらつら書かないで、せっかく取材の申し込みもあるんだし堂々と公に語ったほうがいいような気がします。
ただし、デザインAは誰がみても他のものとは異質であるし「ザ・ニッポン」的なデザインなので選ばれるとは到底思えない。
過去のオリンピックエンブレムの傾向をみてもそうであるように。
発表された新たなデザイン案を前回の選考関係者はダメ出ししてますけど、これら過去のオリンピックで採用されたエンブレムを見るかぎり大差ない気がします。
なぜかデザイナーと呼ばれる(あるいは自分でそう言う)人たちの多くは『素人にはわかるまい』的な考えをする傾向があって、「あたしたちは選ばないけど、素人は選んじゃうんじゃね?」という考えが心の底にあるように感じます。
デザインって結局のところ、ある対象を意匠することであって芸術じゃないわけです。
それがなぜか『素人にはわかるまい』という芸術の域にまでデザインを飛躍させてる気がするんですね。
エンブレムをロジカルにデザインはしておきながら、なぜか『素人にはわかるまい』と芸術家のようなことを言う人もいる。
ならば訊きたいです。
『素人にはわかるまい』という人や、前回の佐野さんの案を選んだ先生方に。
何の説明もきかずに佐野さんのエンブレムをみて、そのデザイン案に含まれる意味が理解できたのか。
オリンピックってなんなんですかね。
競技者と関係者と一部のデザイナーだけのものですか?
誰がみても「東京オリンピックなんだ」って思える、単純に躍動感とかそういった抽象的な“感じ”のもののほうが国民全員参加で楽しめる気がしますけどね。
前回の東京オリンピックがそうであったように。
伝わるデザインの基本 よい資料を作るためのレイアウトのルール