【司馬遼太郎】面白いのは幕末ものだけじゃない
新撰組や坂本龍馬に明治期の軍記物など、徹底した文献調査から導きだした事実を仮説とともに描写して小説化する手法は、読み手にまるで映画でも観ているかのような感覚をおぼえさせ、物語にひきこみます。
そんな司馬遼太郎作品ですけど、じつは幕末ものと同じように面白いジャンルがあります。
忍者ものです。
すでに映画化され、直木賞を受賞した『梟の城 (新潮文庫)
』があります。
あの物語の面白いところは、秀吉を狙う暗殺者が捕らえられ、その名が「石川五右衛門」だとされるところ。
文献と照らした事実と、自身の空想を織りまぜて話を展開していくので、読んでいて頭のなかで想像しやすいんです。
司馬遼太郎先生は、この忍者モノにかなりちからをいれてます。
オススメは、
です。
「木阿弥」という忍者がいたようで、「もとの木阿弥」とは、その忍者がおこす事の顛末であるというような話もでてきます。
様々な文献にあたったと思われる文章には説得力があって、グイグイ入ってくるんですよね〜。
「忍者」という仕事
ビクトルユゴーは『レ・ミゼラブル』のなかで「社会は悲惨を買う」と言っているように、時代によっては多くの子供たちが悲惨なまでの労働を強いられてきました。
とくに戦争が多い時代ほど顕著になります。
現在でも世界には1億6800万人もの子供たちが有害で危険な仕事をさせられています。
『最後の伊賀者』には子供たちが忍者に仕立て上げられる話が出てきます。
戦国時代の日本には、戦によって親を失う子供も多かったに違いありません。
また、貧しい小作農の民は子供を売ることもあったようです。
そうした子供たちを買い集め「忍者」として生きるように育てた人たちがいた。
忍者と言っても「下忍」といって小さいころからきびしい修行を課せられ、なかば奴隷のような扱いで働かせられて上前をはねられた。
かれらが生きるためには「忍者」として働くしかなく、修行の途中で生命を落とすこともあった。
つまり「忍者」になる事は、身売りされる子供たちにとって生きていく術であり、仕事だったようです。
いつも読んでくれてありがとね!