ツイートの呪縛~救われることのない「ツッコミ」思想
駅のホームでのこと。
電車を待つ僕の後ろに高校生3人が並んだ。
人の多い騒がしい駅のホームなので自然と彼らも声が大きくなって、聞きたくなくても自然と耳に入ってしまう。
会話の内容は、なんだかお互い「ツッコミ」合ってけん制し合っているようなものだった。
要するに「いじめられないように先手を打っていじめる」ように相手の揚げ足をすばやく取って、自分が突っ込まれないようにするというような会話だった。
そういう会話をしていると結局は誰かがやりこまれるわけで、その人は気鬱な一日をもんもんと過ごす羽目になる。
僕らが高校生の頃、全くなかったわけではないけれど、過去から現在までの過程で飛び石的に様々なメディアが生まれて、やたらめったら芸人並の「ツッコミ」を入れる文化が生まれたと思う。
人をいじることの気持ち悪さ
やたら「ツッコミ」を入れる文化は、TVのバラエティーであったり2ちゃんねるやtwitterなどのSNSというメディアを、利用したり作る人々が醸成してきたのだと思います。
昔はTVやラジオくらいしかなく、そばにいる人との会話や独り言で終わっていたものが、インターネットで容易に情報発信できるようになったことで、無邪気に「ツッコミ」ができるようになった。
ちょうど、原油をガソリンに精製する時灯油ができるように、連産品的に良い物とも悪い物ともつかないものがうまれてしまった。そんな感じでしょうか。
それがやがて、あらゆる方向に向かっていきます。
時に政治家や有名人、やがては社内外に友人や恋人同士、そしてクラスメート。
「ツッコミ」の種類も多岐にわたります。
自分が知っているあまり価値のない、にわか仕込みの知識情報をふりかざして自分と反する意見をやり込める、なんだかわからないけどみんなが突っ込んでるから突っ込んでみる、自分が突っ込まれないために(いじめられないために)先手打って突っ込んでおく。
面と向かって言えないことをネットでうだうだ言うわけですから、正直ダサいです。
槙田雄司著『一億総ツッコミ時代』という本があります。
あの「マキタスポーツ」さんです。
芸人とは思えない分析力で、一般の人がなぜ芸人ばりの「ツッコミ」批判をするのか、なぜウィルスのように拡がり、どうしたら克服できるのかを明快に著しています。(コンテンツや情報の消費者層を『受動層』『求道層』『浮動層』に3分類して分析しているのは秀逸です。詳しくは是非、本を読んでください。)
「ツッコミ」は他罰的であり、マスコミが生み出す雰囲気に乗っかって、自分を守るために他人を「ツッコミ」いれて生きていくのはしんどいでしょ?だったらみんな「ボケ」に徹しましょう。と提言してくれています。
インターネットはよく「ツッコミ」を生んだ悪玉みたいに言われますが、TVの視聴者数に比べたら日本の場合まだまだです。テレビの影響力はつよい。
今のバラエティー番組の演出がまさに一般人の芸人化を助長している気がします。
僕は「人をいじって笑う」というのは、はたして芸と言えるのかを考えてしまうので全く面白く感じません。いじられる人が「僕はこういう人間で面白いでしょ?」といった場合、それがその人の芸であって、いじる人の芸ではないと思うのです。
そこがなんとも気持ち悪い。
そういった雰囲気は電波に乗り、視聴者に広がっていきます。
“うっかり”と感情まかせの「ツッコミ」
政治関連のTwitterのつぶやきを見ていると、特定のイデオロギーで政治家でもなんでもぶった切るようなものがよくあります。また、アーティストの作り上げたものなどにもなぜか特定の思想でもってぶった切る、というようのものなど。
けれどそこにある批判はたいていの場合誰かの受け売りであったり、トリヴィアルなものであったりします。ふだん中傷などしないような人でも“うっかり”やってしまったのを見たことがあります。
誰しもが“うっかり”やれてしまうメディアなのです。
内田樹氏はその著『呪いの時代』のなかで、
僕たちは誰でも自分の知っていることの価値を過大評価し、自分の知らないことの価値を過小評価する傾向にあります。誰でもそうです。
と、そして自分のあいまいな知識を振りかざす無意味さを指摘して、
自分が仕入れた知識の価値を「知識についての知識」というメタレベルから吟味する習慣を持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を収集しても、それは学的には無価値だということは忘れない方がいい
と言っています。
新種「メディアリンチ」の再燃
一昔前に「メディアリンチ」と呼ばれる報道機関の暴走が取沙汰され、当時はテレビや新聞が『松本サリン事件』や『アトランタ五輪テロ犯』を誤報道し、こぞって個人を犯人扱いして話題となりました。
しかしその頃はインターネットはそれほど普及しておらず、多くの人はテレビと新聞を情報源とした無邪気な時代です。
まさに今、「メディアリンチ」がより複雑に、最悪の形で再燃している気がします。
浅野健一氏の「メディア・リンチ」という本を読むと犯人扱いされ、えん罪を受けることの恐ろしさがよくわかりますが、現在はそれよりももっとあからさまに、情け容赦なく名指しで、直接的に“口撃”を受けます。
浅はかな知識でもって、他人を断罪することの怖さは“炎上”の洗礼を受けてはじめてわかるのかもしれません。
皆様、お気をつけてw
いつも読んでくれてありがとね!