潔癖症の教師 〜目的のない自己犠牲という悲惨〜
ぼくの小3の時の担任は超潔癖症で神経質な女性教師でした。
かなりヒステリックでメンヘラな雰囲気をプンプンに撒き散らし、イタズラ好きな僕らはしょっちゅう口角泡を飛ばされて怒られてました。
逆に僕らがツバなど飛ばそうものなら「ウッ!汚い!」とヒステリックにぶちギレて、愛のまったくこもらないビンタを喰らわされる始末。
いつもため息をつき、顔色は悪くてつねにイライラしてました。
一見華奢な30代半ばくらいのその女教師に「世の中にはこんなにも幽霊より恐ろしい人がいるんだな」と子供ながらに思いました。
家に帰って親に話しても「ビンタ喰らうお前が悪い」と言われるだけなので、それ以上学校生活を楽しいものにする手段もなく、大人社会の不条理さをほんのすこし垣間見ました。
今では名前もおぼえてません。
小3の前後、小2と小4のときの先生がすごくステキな先生だったので、その女性教師の記憶はほとんど消し去られてます。が、ふと小学生時代を思い出したときにあのブチギレた鬼のような形相が一瞬脳裏をよぎります。
そんな小3生活のなかでむかえた2月のマラソン大会の日、僕は走ってる最中に道の真ん中に弱ったバッタ(イナゴ?)がいるのを見つけました。誰かに踏まれてしまうんじゃないかと心配になった僕は、捕まえて道のはじっこによけてあげました。次の瞬間、耳に(というかあしたのジョーで話題になったテンプルに)痛みが走ってよろけてしまいました。
担任の女性教師が後ろから突然ビンタを喰らわしてきたんですね。
「余計なことしてんじゃないわよ!」
半ば絶叫気味に言い放ったときの顔は、オカルト映画にしたら全米が震えあがると確信しています。
目的をもって仕事を選ぶことを放棄した
今思うと、彼女は仕事の選択を明らかに間違えていたように思います。
職業選択の自由を与えられてるにもかかわらず、彼女はそれを放棄した。
おそらく大学を出て教師になれたから教師になった。ただそれだけ。
そこに目的はなかったんだと思います。
当時はまだ一度就いた職は生涯にわたって貫くものみたいな、なぜかそこだけ戦中戦後で止まったかのような考え方が世の中の雰囲気だったので、辞めようとおもってもなかなか辞められなかったのかも知れません。(もちろん退職後の年金云々なんてのもあるでしょう)
でも、自分に合わない仕事を続けることがどれだけ自分のためにも他の人のためにもならないということも理解できなかったのだと思います。
子供だった僕らでさえ彼女がその仕事に適さないこと、そしてそこに僕らをしっかり教育しようなんて目的がなかったであろうことは容易に感じとることができました。
目的のない自己犠牲という狂気
狂気なんですよね、意地でも仕事辞めないなんて。
他人の目を気にして生きることって無意味ですし。
自分を犠牲にしてもなにも生まれない。ほとんど失うものばかりです。
目的もなしに自分を犠牲にしたことで教師という職業柄、彼女の人生においてほとんど無関係なはずの子供達の心まで犠牲にしているんです。
無目的な自己犠牲というのは、やりたい事のためや目標への過程でのシンドイのとはまったくちがって、永遠に続く終わりのないシンドさだと思います。
まちがいなく精神をむしばんでいきます。
目的もなしに自分を犠牲にすることは、最終的にどこにもたどり着きません。
そして、ひとの目を気にするような生き方はやめましょう。
無関係のひとや愛すべきひとたちを犠牲にする前に。
いつも読んでくれてありがとね!