未だに教育されない教育者〜ある悩めるママの切実な話。
僕は世代的に『尾崎豊』思考の中学時代を過ごしました。
反抗期でもあったのだけれど『大人はいつも敵で理解しがたい存在』と決めつけ、特にやたらめったら教師を敵視するという問題ある青春を謳歌しましたw
自分が大人になった今思うのは、稀な一部の大人がある領域にいるために、そこに壁ができていたのだなと感じています。
そして今、あるママさんの悩みを知って再びフツフツと怒りがこみ上げてきて憤っています。
あるママさんの悩み。
あるママさんの子供(A子ちゃん)が集団ではないものの同じクラスの一人の女の子にいじめられて、いわゆる保健室登校児に。
まだ小学4年生ということもあり、もう一度教室に戻れるようになれないかと心を痛めていました。
初めて保健室に母親と登校したとき、担任の女教師を含めて話をして「なぜ教室に行きたくないの?」と尋ねたところでA子ちゃんは泣き出してしまったそうです。
そこで担任の女教師はすかさず「なんで泣いてるの!」と大きな声で怒鳴ったそう。
相手は小学4年生の女児。嫌なことを思い出して泣きもするでしょう。
なぜ子供が泣くのかを考えられない大人が教師をしてることに驚きます。
こういうところに公務員の限界を感じます。
再教育が必要な教育者
もちろんそういう教師だけじゃないことも知っています。
素晴らしい先生はたくさんいます。
でも、子供の心理も理解しようとせず仕事として教育をしている教師は『職場に行けば金をもらえる。』という考えが前提にあるのだな、と感じざるをえません。
僕ら一般企業人の感覚とはまるで違うので、そこにいわゆるバカの壁ができてしまう。
教育されるべきはむしろ教育者なんじゃないかとすら思ってしまいます。
聞いたところによれば、驚くべきことに『保健室登校は登校拒否よりは良い』として学校が担任を評価している点です。
保健室登校ははっきり言って異常な事態です。
文科省が以前、ある質疑の場で「保健室登校であっても学校には登校しているため,欠席者としては扱いません」という発表をしたためになんとなく“問題ないこと”になってしまった。
こういうところもお役所的な弊害であり、それがある意味黙認されることは、生徒の親たちが必死になって学校と協力し問題解決に取り組もうとしている姿勢を無視する行為に等しいと思います。
教師という仕事は“年の功”では成り立たないのだと思います。
一般企業では年齢を重ねることで技術的にある程度のレベルに到達します。
けれどもそこには自発的に休日返上で勉強会をしたりする従業員や場を提供する企業側とが同じベクトルで課題に取り組んで作り上げる環境があります。
もちろん教師だけとは限りませんけど時折見かける「部活はサービス残業だ」というような発言。
これを一般の企業であてはめて考えると、仕事のための資格試験に夜遅くまで勉強し、休日返上で自腹で交通費と試験料を払ってることを馬鹿げてると言っているようなものだと思います。
前出の教師をみるかぎり、教育の現場には問題解決する能力を持ったプロがどれだけ存在するのかとても心配になります。
教育界ってあれだけ大人がいながらプロが少なすぎると感じます。
とても厚い壁があり、そこを越えるにはかなりな労力がいりそうです。
一般企業は公務員のように必ずしも退職金は出ませんし、手厚い年金はありません。
倒産や失業のリスクも公務員の比じゃありません。
かといって公務員よりも仕事への責任が軽いかといったらそうではありません。
神戸市環境局職員のように職務中に延々とキャッチボールして遊んでいられる環境などありませんから。
公務員は犯罪を犯さないかぎりつねに守られてるわけです。
守られない環境に置かれた一般の企業人はその職責を果たそうと必死です。
なかなか「資格取得はサービス残業と同じだから給料よこせ」とは言えません。
そんな守られない境遇でも責任を果たそうとします。
(もちろん全ての一般企業の人がそうだとは言いませんが)
それがプロであり、大人であり、親となりうるひとだからじゃないかと。
もう少し教育者としての質の向上を真面目に考えてもいいんじゃないかと思います。
日教組のような「権利は主張するが責任は負わない」組織の仕事などはどうでもいい。
以前『イジメについて。(体験談)』でも書きましたが、サラリーマン体質でもいいから教育のプロとしての責任を果たせる能力をしっかり身につけてほしい。
いつも読んでくれてありがとね!